Aruyo

筑後美人不在論を読む

とある縁で知った医者さんが遺した徒然なる日常やメモを記した手記を読み解く。

大牟田出張で11月11日(月)とあるけど何年前のだろう。2019年がそのようだけど、その頃は福山にいるはずなので大牟田出張は無さそうで違うかな。「二度目の大牟田、AM8:00の特急に乗る。相変わらず女子高生が多い。しかし美人はいない。筑前美人に筑後ブスの言い伝え通り」との書き出し。今の大牟田は高齢化と過疎が進んでいると現地の方からよく聞くのでもっと昔だろうか。

それにしても先生ってば...刺されそうよ、もう故人だけど。

よほど暇な出張だったらしく、やることが無いので以前に来た時の症例の切り出しをしている。「剖検室に入りポリバケツをのぞくとホルマリンから顔を出していた臓器にムアっとカビがはえている。一瞬『やめよーか?』と思うが気を取り直して食堂静脈瘤の部分だけ切り出す。合わせて今週CPCするHCCの症例を全剖してみようと肝をお持ち帰り用に1 slice切り取る」とまあその後は読書で過ごされた様子。

八女の女性ドクターから学会発表について「会って聞きたい」との打診にいい感じの声だったので美人を期待したら夕方にドタキャンを食らってがっかりしたりとか、残胃癌の肝浸潤とやらに関心したりとか、指し棒を持って剖検例の解説をドクター達の前でやるとエクスタシーを感じたりとか、朝3時まで呑んだのに7時に田川まで飛ばしたりとか、患者が続いてトイレに行く暇もなかったとか、医者の日常ってなかなか。

大牟田は概ね暇らしい。朝からコンビニでハンバーガーとビールを買っていらっしゃる。電車で久留米まで帰った後は車でしょうに...。他の日もランチにグラスでワインをとってらっしゃる。勤務中のアルコールにお咎めが無いほどに緩かったのかな。

二日目の田川の病院と電話でのやりとりが「良性腫瘍だと思ってえぐり?(読めない字)ったら乳癌だったという患者さん、本人よりもダンナさんが焦って(以後略」というところ、癌で家族が騒動するあたりがだいぶ昔っぽい。あと、マンモグラフィの記述がないので日本に導入される2000年以前なのかもな。

そう思いつつ読み進めるとサンヨー電機との記述がある。パナソニックがTOBする前なら2009年以前。しかも所ジョージが大牟田の市民会館で特選会とやらで一日店長とか書いてある。宣伝に出ていた頃を調べると1994年から1996年とな。当時のカレンダーをみたら1996年の11月11日が月曜日ということで特定。民生品初のハンズフリー通話ができる「テ・ブ・ラ・コードるす」とか、ネットがみられるテレビの先駆け「インターネッター」とか、そのへんのCMが所ジョージだったので会場で売られていたのだろうか。

会場に群がる女子高生について「胸にバカチョンをぶらさげて同じような顔をしている。これだけの数が集まりながら心惹かれる少女はいない。やはり筑後地方は美人不在の土地なのだろう」で締めくくっている。30枚60ページのノートにたったの6ページだけ、導入と締めで美人不在と綴りこのノートは以後はまったく使われずにずっと本棚に眠っていたのだな。