ランキングの愚
昔はよく聴いてたなあというのが音楽の人気ランキング番組。今でもテレビなどではセールスを順位付けしてるものはあるけど、今の御時世にこれを知ってどうだって言うのか的な代表みたいに。売る立場からしたら大事な事かもしれないけど、買う立場からしたら皆が好んでいるかどうかよりも自分が気にいるかどうかのほうが大事。そんな時代だと思うんたけどなー。昔の記録と比較してどーすんだ。
嫁が熱心に録画している番組を見てそんな感想。わしらみたいな古い世代の人間はまだまだランキングの虜なんだろう。
とまぁ、そんな事を以前から思っていたのだけど、気になる記事が流れてきて。嗜好の対象が小さなクラスタの中で深く交流できるようなエコシステムで成り立つから、産業もコンパクトで素早くリリースするほうが優位って事な?とも思う。音楽も趣味もレジャーもグルメも全部に言える事かも。自分本位、自分優先、というか人は人で自分は自分というマイファーストに生きやすい時代なんだなと改めて思う。
追記
Tumblrで似たような同じ記事が流れてきた。同じ記事かなあ? 元サイトはもう閉じられたようだし、抜粋をここにも残しておこうと思う。サイト主の人、ごめん。
例えばなぜ雑誌が売れないのかを考えると、考えられるのはインターネットの影響である。雑誌の速報性はネットの速報性に敵わないというのは最もだし、雑誌で知れるような情報は今時ネットで無料で入手できるというのも全くだ。
例えばなぜCDが売れないのかを考えると、かつてはCDに使っていたお金がケータイの基本料金に消えているという説はそんな気がするし、P2Pで無料でダウンロードできるからというのも心当たりがあるし、でも別にケータイの着メロは売れてるからモノに拘らなくなっただけかもしれないよとも言える。
しかしそれらの根底にある理由を考えなくてはいけない。それは何かといえば、「流行を追う」行為がもう流行っていないという点に尽きる。「流行が流行ってない」というのは妙な言い回しだが、流行を追うことで得られるものの価値が下がっていると言い換えよう。
流行文化を消費する理由は、それによって人付き合い/コミュニケーションが得られたり、皆と同じであること(=周りから浮かないこと、異常でないこと、平均に達していること)を証明するツールだったりしたからだ。しかし中心的存在が年々減っている現状では、流行を追うために費やすお金や時間に見合った対価が得られない。結果、流行を追うために用意したお金と時間は、自分の趣味に割り当てられる。趣味の世界にもある程度の人数はいるから、その人達とつながれば別にいいや、と発想の転換が行われる。
これはネットによって「流行を追ってない人」が一定数以上いることが可視化されたせいかもしれない。もちろん、その代わりに「趣味の世界での流行」を追う必要は出てくるが、趣味だからお金と時間を費やすのは別に苦痛ではない。結果、趣味ごとに世界は分断されていく。趣味のない人はこれまでどおりの流行を追う。これが1999年以降の日本の状況だったと思う(なお1999年という数字の根拠は、単に90年代の流行現象である「CD」の売上ピークが1998年だからである)。
1999年以降、「流行」は流行っていない。 : better
追々記
なんかちゃんとした形でのReblogが流れて来たので引用元を追記。でも、当時みたのはこんなところだったかなー? よく思い出せないけど。