花鳥渓谷のちらしが出て来た
少し不用品整理をしていたら懐かしいパンフレットが出てきた。たぶん、オープンしたての年だったような気がするけど。青森のシンボル(?) アスパムが出来た年。あの頃は市内にガチでコンビニが在りませんでしたなあ(遠い目)。
さて、花鳥渓谷。青森山田高校に居た頃に何度か演奏だイベントだので授業そっちのけで学校使命的に行かされた地。宣伝部隊としてこき使わ活用されてたんだろうなぁ。十和田湖周辺はツーリングのライダーも多く、バスから手を振るといろんなサインで応えてくれて、移動の間だけばなんともいい雰囲気。着いた瞬間から気の抜けない状況開始だけども。
免許とったらバイクで来るぜ!と思っていたのに行ってないなぁ。
気になって調べてみたら2008年半ばに閉園したとか。転校してから山田の同窓生達とは音信不通なのでさっぱり聞かなかったわ。学園長だったか理事長だったかのお気に入りだから薔薇を折ったら退学になると言われていたほどで、園内には薔薇が溢れんばかりに多かったという記憶。検索してみるとなかなかのコレクションだったようで。ただの薔薇好きなおばあちゃんではなかったのか…。
[ 2009年 花鳥渓谷 | PHOTO×LIFE ]
[ 北帰行 (花鳥渓谷2) | Cranberry’s House ]
ブラバンの顧問だったのが理事長息子で当時は教頭先生。野球部や体操などいくつかの部活の顧問を兼任していたと記憶してる。ホームページをみてみたら「学校法人青森山田学園理事長、青森山田中学高等学校校長」となっていた。あの頃は母父子で三人三役だったけど、そりゃ今は流石に兼任はまあ無理よね。ちゃんと顧問を立てるようにして学校運営に集中してるのかも。
そいや、学園の青森大学が八甲田山にロッジも持ってたっけ。
そんな感じで花鳥渓谷を大学のキャンパスにしちゃうのは難しかったのかな。
高校・大学の研修施設として...は、きっと当時もそう考えてたのだろうけど。