人が勝者でなければならないのか
先日、テレビでコンピュータが将棋の名人に勝ったというのをやっていたらしいけど、それに対する反応がちょっと痛くて気になった。
「コンピュータには知性・感情・闘争心・閃き・気まぐれ・駆け引きなどが無いから、人間の勝ちです!!」 あるいは 「人間には勝てません!!」… みたいな主張のいかに多いことか。ルールに則った試合に負けても人類が勝ちと言う。
そんな「人間性」みたいなのは人間にあるからこその人間性であって、己の土俵での話ですわな。ルールはコンピュータでも人間にも等しいものなんだから、それは違うだろうというのは誰にでもわかりそうなもんだけど。
話は飛躍するけど、裏を返すと「人間性」が通用しない相手には勝てないというのは、人類が非人間(宇宙人も含む)と渡り合うためにはまだまだ未熟と言えなくもない気がするんだけどどうなんだろう。
そういう「人間性」は確かにステキなものだけど、それだけですべてを渡り歩くことはできないということを、コンピューターから学び取るほうが有益だと思うんだけどなあ。
人間を超える部分があってもいいじゃない。
まだ人間が作った故の限界もあるだろうし。
負けは負けと認める事も。
優劣だけで計りようのないところを認める事も。
人が持つ強さだと思うのだよ。
なんだか、彼らのツイートやFBでのコメントが、試合に負けた事が人類の命運を賭けた級の発言になってる事のほうが正直恐ろしく感じたよ。私のほうがおかしいのだろうか ?
なんかさ、勢いに勝る若いのにビビって叩く老害にも似たように感じたよ。動物相手に「表情が無いから人間が優れてる」と説いてるようにしか見えないし。ブラック・ジャックが人工知能のコンピュータをハンダゴテみたいなので溶接して「治療」したくらいにナンセンスだわ。
コンピュータには無くて人間が持つものに、意固地も加えてくれ。
人間優位主義りの彼らには「君たちiPodもスマホも捨ててレコードと黒電話に戻りなよ」と言いたい。できれは「今すぐPCも捨てろ」と言いたい。算盤と鉛筆と定規を手にして人こそ勝者と言い続けてほしい。人間の奢りが高度化した機械をみくびって自滅する。 そんなSFもあったっけね。