岩田氏のこと
体調を崩されてたのは知っていたけど、逝去は予想してなかったので不意打ちくらった気分。ちょっと早すぎるんじゃねえのー。
任天堂そのものの行く末が心配されるけど、このまま斜陽してどこかに取り込まれるか何か転換するんじゃないかとか。事業家としては先代もすごい人だったけど、おもちゃ流通を牛耳る談合じみた初心会は大嫌いだったし、ゲームメーカーとしての任天堂には敵として負けっぱなしなので、それを期待してる面も未だあったり。CompaqやSunみたいになるか、HPみたいにしぶとく残るか、静観していこう。
どちらかといえば私にとって岩田氏はHAL研の人。jobsではなくwozniak的な感覚で見てるんだけど、世間一般は前者でみてるような感じなんだろうか。HALNOTEはDTPの存在を教えてくれて、同人誌をこれで何冊も作ったりした。カード型データベースとかもね。HALNOTEは色々な面で将来やりたい仕事へと導いてくれたものだった。
HAL研製品とはいえ、岩田氏が開発に関わったのかどうか雑誌とか処分してるしわかんないなあと思ったらちゃんと記述があったようで。ちょっと長いけど追記部分をquoteさせてもらう。
10年くらい前、岩田さんが任天堂の社長になった直後に「岩田さんは HALNOTE 作った人」という 2ch の書き込み見つけていました。
たった一人で、8bit 機を Mac のような環境にしてしまうソフトを作った天才、という文脈でした。
岩田さんは HAL研究所出身ですし、話としてはあり得ます。でも、裏付けの取れる情報が無くて、ここには何も書いていませんでした。
今日、ツイッターで、外国の方の「28年前の岩田」だというツイートが RT されてきました。
MSX マガジン 1988年3月号の記事だそうです。HALNOTE の開発者インタビューで、答えているのは岩田さんです。
インタビュー内容によれば「中心となったのは4~5人で、ピークの時で7人くらい」だそうです。
たしかに、岩田さんは開発に関与していますが、たった1人で作った天才、というわけではないようです。
なお、記事本文でHALNOTE開発者のコメントを伝えていた「雑誌」と書いてあるのは、当時 HAL研が HALNOTE のユーザー登録者のみに販売していたディスクマガジンの、「Lab Letter」のことで、MSXマガジンではありません。
HALNOTE のバージョンアップや、HALNOTE 上で動く小さなプログラム、開発者からのメッセージなどが入った濃い内容だったように覚えています。
HALNOTE : 魔法使いの森
なるほど。
私は1988年の岩田氏にやられたのか。
「HALNOTEでできることは、Macintoshとそれほど変わりません。ほかのパソコンをみても、8bitはもとより、16bitでもここまで完成度の高い統合環境はないでしょう。個人で使う分には速度はそれ程問題ではなく、必要なのは表現力ですし、値段を考えるとHALNOTEは、ただ遅いだけなのです」
あはははは、そう、確かに遅かった。
でも、十分に使えた。
そういや、直子の代筆は未だにあるね。
ちょっと驚いた。
天才表現についても少し。何年も前に書いたコードを正確に言えるビル・ゲイツやナーシャ・ジベリみたいな記憶や発想の天才とは違って、全うに再現したらハードウェアのスペックが足りなかったり予想に反してつまらなくなるところを、ゲームとして成立させるためにうまく端折って動くための仕組みを考えるのが上手い才人なんだと思う。引き出しが多いんだろうなあ、と。たぶん、ジョン・ワーノックとかドナルド・クヌースとかそんな感じ。
最後に、コピーライターとゲーム開発者の両方を仕事にした私としては、こちらの対談などがちょっと心に沁みた。改めてご冥福をお祈りもうあげます。
[ 岩田聡さんのコンテンツ : ほぼ日刊イトイ新聞 ]