Aruyo

ヤーポン法の影

布団の中で膝を曲げ伸ばしするたびにポキッと音がする。この音、関節の空気か何かという説だっけ。指を鳴らすのと違って、こう何度もなるものか。一度で治まるんとちゃうんか。だいぶガタがきてるのは間違いない。

さて、フィルムのサイズばなし。

8の倍数ではないの何故。8の倍数もキリが良いのにねぇ(ぉ)。

最初に映像のアスペクト比を決めた人物は、映画フィルムを発明したトーマス・エジソンのもとで働いていたウィリアム・ケネディ・ディクソン氏です。1890年代にイーストマン・コダック社がフィルムの大量生産を開始したことから、エジソンは自身が発明した装置で後の映写機のもととなる「Kinetoscope」にこのフィルムを使うようにしました。

35mm幅のフィルムを使うにあたり、ディクソン氏はフィルムの送り穴(パーフォレーション)4つごとに1つのコマを配置するように決めました。

その結果、フィルム上に記録される映像のサイズは0.95インチ×0.735インチ(約24.13mm×18.67mm)となり、これがアスペクト比「4:3」または「1.33」のルーツとなったというわけです。なぜディクソン氏がこの比率に決めたのか、その理由ははっきりとはわかっていませんが、これ以降このサイズが標準的なサイズとして定着するようになったとのこと。

[16:9や4:3などの映像縦横比率が決まった本当の経緯と理由とは? : GigaZine]

ここを読む限り、映画の発明時にはコダックから35mmフィルムが発売されているっぽく読める。35mmもいろんなサイズのひとつに過ぎないか8mmが後発なんだろうか、前後関係がよくわからなない。

注目したいのは「送り穴」4つ毎に1コマというあたり。ただ送るだけではダメで1コマ毎に一瞬止める必要があるなど映写機の送り穴はとても重要な機構だ。だから、品質が良く供給が安定しているカメラ共通がベターだったと予想する。

でも、写真の検索すると35mmが定着した頃にはすでに映画があったふう。35mmパトローネの始祖、コダック135フィルムは1934年とのことなので、確かにKinetoscopeから40年くらい後となる。んじゃその35mmはどこから来たんだか。

135フィルムのWikipediaを見たら書いてあった。

動画用35mmフィルムの標準はトーマス・エジソンの研究所でウィリアム・ケネディ・ローリー・ディクソンが確立した。ディクソンはジョージ・イーストマンのイーストマン・コダック社が供給する70mmフィルムを使用し、このフィルムを長さ方向に同じ幅(35mm)で2等分し、フィルムの端と端を貼り付けて長くし、フィルムの両側に巻き上げ用の穴を開けた。はじめの画像サイズは18×24mmで、現在スチル写真の『ハーフ判』とされているものである。動画の1フレームにつき両側に4つのパーフォレーションがある。

[135フィルム : Wikipedia]

なぁんだ、てっきり35mmがありきと思ったら70mmをぶったぎってたのかよー。この時、どうせなら16mmの二倍にしたら送り機構の魔改造が楽だぜ!とかなったら32mmが爆誕していたのだろうになぁ、残念。

印刷機あたりから送り機構の原理応用があって、印刷の基本値である1/72インチの1ポイント0.3514mmはアメリカンポイントで基準になった1/12パイカ。このパイカ(1/6インチ)が83パイカで350ミリというのが定義だから1/10の35mm説。玉砕である。

そういやエジソンはヤーポンとメートルの複合野郎だったわね、なにせ電球のE26口金「エジソン・スクリュー」は1/8インチで26mmな...ぐぬぬ。