Aruyo

名も知らぬ画家の死に想う

高速ではないと思うけど、高架なのに何故か未舗装区間でしかも傾斜がきついところを、車で頑張って登る。なんでそこを走っているのか謎だけど、とにかくすごい傾斜に恐れ慄きつつアクセルを踏む。FFXIでアットワの絶壁を進むくらいの感じ。

そもそも、4WD軽トラとかSUVとかならまだしもただの軽ワゴンだ。なんでこんなことしているのか、ただ登った先に大事な用事があるということだけは確か。そこに持っていくべきプレゼンの資料とランチの準備が後部にある。

よし、登った! というのがどう見ても1000m超えの山脈の尾根からの光景で、とてもシートを広げて優雅に籐のバスケットからランチを取り出して優雅に小鳥の囀りを聞きながら紅茶を味わって本を読むなんて雰囲気ではない。

車どうしようと思って目が覚めた。


Twitterに訃報。誰だろうと思って見てびっくり。名前は覚えていなかったけど、PinterestやTumblrで見て良い絵だなと思って、見かけてはちょくちょくpin立てたりreblogしてた人だった。いずれ画集欲しいななんて思ってたのだ。合掌。

確かに私の心の片隅にひっそり居た。
訃報で初めて名を知った。
きっとまた忘れてしまうかもしれない。
最期まで覚えているかもしれない。
100年後、200年後、残っているかは後世次第。

若いクリエイターの逝去が多く感じて気になるけど、よくよく考えると昔もそれなりにあったわね。昔にくらべて、活動の場やジャンルが広がり定着したこと、「名が売れている人」の総数が増えたこと、メディアの発達で伝播しやすいこと、なんてのがそう感じさせるだけだ

それでも、生年がまったく同じだったりすると「うわっ」って感じるようになった。歳を経てるのだから当然なのだけど、できれば自分もお先にと言いたくなるのよね。年下の訃報ばかりを聞くようになったら、きっと寂しすぎる。