Aruyo

死恐怖症で想うコト

Twitterのトレンドに「死恐怖症」があがっていたけど、見てみると「私きっとこれだ」「私あてはまる」って人が凄く...いや、激しく多い。単に死ぬのが怖いだけで思い当たっている人が多分に含まれているようだけど。

私は小学校中学年くらいの頃に死ぬ事は無の世界に堕ちるのだと思い、死=無を感覚的に突き詰めようと試みた事がある。光も無い、音も無い、温度も無い、感覚も無い、思考も無い、感情も無い、物質も無い....。それからがどういう状態かを想い脳内に感覚として捉えようと一心不乱にイメージ再現をしていた。無を事象として再現するあたりの矛盾はさておいて、子供なりに死を体感しようとしていたのだと思うから無茶な話だ。

しかし、何ヶ月か続けているうちに何となくだけど「無」を捉えたような感覚の瞬間はあった。布団の中で寝落ちとは明らかに違う、意識を超えた「何か」にストンとハマった感覚があって、時間の感覚も無い形容し難い空間というか点に自分が存在している、言い換えれば自身が虚無みたいな。そして、永遠か一瞬かもわからないうちに、弾け飛ばされた。

吐きそうな気持ちと頭の中に恐ろしいほどの明晰な思考感覚だけがあって、時計(ゲームウォッチだけど)を見たら30分も経っていないので恐らくほんの数分だと思うけど、数年は経ったかような感覚だけはハッキリとあって、怖いというよりもどっと疲れた。

その後、弟にもそれを話したりして、再現を試みたけど出来なかった。

どう思考を積み重ねて「何か」にハマったかは一応伏せておくとして、今にして思えば瞑想効果でトランス状態の一種に成ったのかもしれないな、と。しかし、あのハマった時に一瞬でも恐怖を感じたら、本物の「死恐怖症」になっていたか永遠に現実に戻ってこなかったのかなぁ、とも思っていてその事のほうがゾッとする。

もう二度と達する事は無いだろうけど、死ぬ前にもう一度くらいはなぁ...。