Aruyo

台風の準備を始めた

台風が迫ってきたのでぼちぼち準備。自転車とバイクを括りあったり、洗濯物干しポールをしまいこんだりとか。実家に行って少し手伝うかと思ったらほとんど完了していた。台風はというと久留米直上コースからちょっと西にずれて諫早-唐津とな。ふーん。

風は少し出ているものの落ち着いた天気なので散歩がてらピクミン。花植えチャレンジには水曜日から合流したけど、まあなんとか完了したのでよかった。みんな呑気でちょっと危なかったかな。

きょうは親父がJALマイレージバンクのアカウントをロックさせたというので様子見にいったけど、自前でサポートデスクに電話して新しいメールアドレスに変更してもらったとか。呼びつけておいてなんじゃそりゃ💢 まあ、パスワードリマインドするメールアドレスがもう解約したプロバイダのだったのでよかったかも。

早々に下に降りて母と談話。昭和二十八年の西日本大水害では久留米競輪場の裏手にある遥拝塔の上から水浸しの市内を眺めていた母だけど、それ以前に大きな台風で花畑付近の家々がぺしゃんこに潰れていたのも見たと言う。

聞いたところでは小学生のうちだったようなので、1942年(昭和17年)生まれだと1948年(昭和23年)から1952年(昭和27年)の間。その間に大雨ではなく強風で九州で大きな被害を出した台風となると、青葉丸沈没のデラ台風、ルース台風あたりか。雨被害が目立つジュディス台風、大水害後だけど昭和29年の台風12号も可能性ありかな。高齢者の記憶がアレなんで。

そういえば、以前に今の苅原の交差点あたりは土地が低くてよく冠水していたとも聞いたな。周辺に建物が少なくて花畑や六軒屋あたりがよく見えたとかなんとか。附属小(まだ陸軍の厩舎を改築した後)に通っていた頃なだけあるというか。

夕方に買い出しにディスカウントスーパーに向かったら、パンとか日配品はもう全滅。このあたりの防災意識は染み付いたものとして良いと思う。カセットコンロと水が売れてないところにピンボケ感はあるけど。都市ガスよりプロパンが圧倒的に多いから仕方がないのか。冷蔵庫の停電はあまり考慮されていない気もするけど。

あと、酒がいつもよりぐっと減っているのと冷凍枝豆が枯渇していたのはマジで意味不明。台風宴会でもするのかな。災害のいざと言う時に酔っ払いは役に立たなそうだなぁ。救出の自衛隊員は酒臭いじーさん達を背負うのね、と思うと涙を禁じ得ないぞ。

さて、明後日はどうなるのかな。
明日も少し買い足そう。