Aruyo

AIイラストで崩壊した

今日はもう仕事しないでだらだらすんぞ! と意気込んだもののやっぱり電話は襲ってくる。二件ほど対応したついでにLINEにもいくつか来ていたのをこなして終了。仕事を忘れてパッと遊ぶのが理想だけどそうもいってられぬ事情もある。ま、頑張ろう。

AI絵師をたくさんフォローしてみたThreadsの捨てアカウントを削除した。かの絵ゞに浸ってみたらどんな心象になるか試してみたかったのだけど、作画カロリー高めの絵を日に何枚も投稿するハイピッチなものだから、浸るというより洪水に巻き込まれるような感じだった。

投稿者の影にAIが居るという感覚でみているせいか絵柄にそっちの人格とも違うけど何とは言い難い存在感を感じる事が度々あった。その意味では構文で指示してAI描かせるのだからAI絵師というというよりはトレーナーというかプロデューサーというかそんなところでAI自身のほうこそ絵師ではないかという気がしてきた。なので投稿文に「描きました」とあるのが違和感で「作りました」とか「指示しました」と置き換えて読むとしっくりくるようになってしまった。

もうひとつの変化としては「いいね」をしなくなった。最初はAI絵の中でも気に入ったものを見つけては「いいね」をつけていたりもしたけど、早々にパタリといいねをする気が無くなっていた。別につまらないとかいい絵が無かったとか量が多すぎたとかそういうものではなく、量産された特徴あるタッチに食傷気味みたいなところがあったようなそうでもないような。

この感覚はどう分析したものか自分でも困惑する。覚えがあるので何時か何処かで同じ感覚に陥った事がある筈なのだけども。同じ絵師のいろんな画集を眺め続けてもそんな事にはならなかったしTumblrなどで大量の画像を流し見していたりするのは日常なので情報飽和とかでもないと思う。

なんとなくだけどキャストを選定する時に何冊ものタレントのカタログとか見ていた時かなあ。だんだんと顔とポーズの区別がおかしくなってゲシュタルト崩壊した時みたいな。実は多様な絵柄があるように見えて何かAI絵ならではの知覚的な共通項か文脈みたいなものがあるのか。もしそうなら私の中でAI絵がゲシュタルト崩壊していたのかもしれない。

だからAI絵に飽きたとか人が描いたのと比較する優劣とかそんなどうでもいい観点とは違ったところで、よくわからない部分で感心が保てなくなっただけなのだ。恐らくは暫くしたら戻るとは思う。ただまあ大量のAI絵の中に浸り続けるのは控えようかな。食もそうだけど偏ってはメンタルに悪いらしい。

短期間に量産できる強みがあるのでバランスよく適量を適度に混ぜるためにはAI絵を意識して抑えないといけなくなりそうだけどね。


ぽてぽてと歩いていたら何となく気になった庇の跡。

もう何年もこのままなんだろうなぁという感じの風化具合が良い。店舗の入り口のようだけど営業している様子もなくビルオーナー関係者とおぼしき黄色い軽自動車...初代ビートやんか、しかも分類番号が2桁...が止まっている。

是非とも解体まで現状で頂きたい。