軍跡と呼ばせて
本日は昼から撮影のお仕事。カメラ経験と知識はヒョロヒョロに薄いんだけど有難い事にお仕事は来る。プロに比べたら安いからだろうなぁ。でも相場を調べたら今はプロも安過ぎない? 広告代理店に勤めていた昔は1日で10万円は軽く飛んでいたけどね、ただしQV-10が登場する前後なのでデジタル一眼レフなんぞ存在しない時代だが。
余談だけど私はカシオのQV-10よりキヤノンのQ-PICのほうが普及価格帯なデジタルカメラの始祖だと思っている。もちろん売れたのはQV-10だけど、重要科学技術史資料とか歴史的資料価値ならQ-PICを推したい派だ。グッドデザインだと思うし。
さて、目的は久留米市の文化財保護課と東国分校区池の谷自治会による「戦争遺跡めぐりウォーキング」。こちらの様子を撮影するのを頼まれたのだけど思ったよりいい天気で暑くて高低差もあったりと機材を持ちながら歩くのはなかなかハードだった。まあでも気持ちよかったかな。普段は部屋にこもってモニターを見ながらキーボードを打つだけなんで。
コースは正源寺からスタートして、円形野外音楽堂、遥拝台、ドイツ兵俘虜の墓、忠霊塔、陸軍橋を経て正源寺に戻る。忠霊塔から臨川台にを経由する予定だったけど競輪場が門扉が閉じていたので省略された。他にも遥拝台などKEEP OUTのトラロープがずいぶんと手前に張られていた施設もあった。競輪場の名で封鎖されていたけど、こういう場で融通できないあたり根回しが難しいのか。
同じ市の組織なのに立場としてはギャンブルが優先されて強く文化財保護課は弱いのだな。いかに久留米が文化面を雑に考えているかを力関係から窺える場面だと思う。そりゃあ石橋文化財団が美術品を東京(ブリヂストン美術館...じゃなくてアーティゾン美術館)引き上げて関係を整理するわけだよ。
保全できるくらいの予算をつけてあげてよ。
今回スルーされた施設だと、工兵隊の作業池は「工兵隊池と呼ばれていた」と書かれていたりするけど母や祖母は「軍隊池」と呼んでいた。このへんの剥離も気になったかなあ。戦中生まれが生きているうちにもっと広くヒアリングしたほうが良いと思う。あと、メガネ池と呼ばれていた石橋池もたぶん由来がありそうだけど軍との関係はよくわからないかな。
最後に、これらの軍の駐屯に纏わる痕跡を「戦争遺跡」と銘打っているけど、私はこの言い方は正直好きでは無い。まずこれらの施設は戦地(現地)では無い事。そしてトーチカなど戦闘に直接関与する防衛施設ではない事。遺跡や遺構というには時間が浅く近代である事。この三点かな。戦跡というのは戦闘痕や破壊痕などを指す言葉とあるのだからこれらはニュアンスが少し違うと思う。
どうしても戦争遺跡と銘打つなら国会議事堂やホワイトハウス、SHAEFの司令部があったパレス・ホテルなども戦争遺跡の肩書きを付けないと。戦績ファンのサイトでそう書いてあるのは未だ目にして無いけどね。GHQが使った第一生命館なら屋上に高射砲台が設置されていたというので枠に入っているけど。
合戦もなかった城跡を合戦場とは呼ばないし、合戦場は戦跡だけど攻守の無かった城跡は戦争遺構ではない、みたいな。だから私はそのへんを区別するために軍跡という言葉を当ててみたいと思ってる。