アートディンク創業40周年だそうな
尻カッチン案件の時間がやはいので、アルバイトは午前中のみにしてもらい午後から着手しようと思っていたら、先制してバイト中に電話が来て慌てて対応する。ヒィー!! 実作業は午後からで良かったけど、追加の要望がいくつか来て作業量は増した。うーん、身から出た錆。
今日できる分は黙々とこなした。
明日できる事は今日はやらない。
連絡を取っておきたい人がいて名刺を探していたら、別の懐かしい人の名刺が出てきたので「最近は何かしているのかな」と検索してみる。
特に近況には出会わなかったのだけど、JAAA(社)日本広告業協会のクリエイター・オブ・ザ・イヤー 1991年第3回の受賞者に載っているのがヒットした。
あー、これはアートディンクが彼をヘッドハンティングしてハウスエージェンシーを立ち上げる前に使っていた広告代理店にまだ在籍されていた頃か。
しかし、ノミネートしたきっかけは何だろう? A列車で行こう3? それとも アトラス? ビジュアルにはちょっと凝ったから、関ヶ原かもしれないな。
当時は二社の広告代理店を使っていたけど、大手のほうからはそうやって二人を引き抜きハウスエージェンシーを立ち上げ、数年後にゲーム誌BEEPの元編集長まで呼び寄せて出版事業も立ち上げた。
新川の霊岸橋脇にある小さなNAXビルからスタートして、出版事業を立ち上げる頃には近場のおおきなビル2棟に数フロア構えるくらいになっていた。そんな会社もさほど長命ではなかったので栄枯盛衰激しいな、と思う。
今のアートディンクの所在地からそこまで徒歩30分圏内、隅田川沿いに縁が続いているのはちょっと面白い。
ちなみに、もう一社の広告代理店からも当時の担当さんを引き抜いてスタジオアートディンクを立ち上げている。津田沼時代からの流れを知る人はもう役員含めて片手の数だけ、かな?
そこでふと思い出した。あれ、4月20日が創業記念日だったような? そこでXをみてみたらビンゴ。なんてこった、こんな日にこの名刺が出てきたのか。ちょっとびっくりだわ。