Aruyo

心を置く

朝から大雨の中を集荷と配送で移動する車中。NHKのラジオで「彼の方は心を置くのがうまい」「心の置き方」という表現がちょっと気になったり。「心置きなく」とは今でも使うけど「心の置き方がいい」「心を置かれている」なんてはあまり言わないなあ、とぼんやり思った。

ラジオでは滅多に会わない人が会話でみせた気遣いの言葉を指して言っていたようだけど、をネット辞書をいくつか見てみると「執着する」「打ち解けない」「遠慮する」「用心する」「気を遣う」「気にかける」「心を残す」とある。

知恵袋では『「心を置く」とは「心を(ある事物に)置く」という意味です。ここでの「置く」とは、「そこに留める」という意味です』と気遣いを正しい意味にしている。

もしかしたら古語だったり誤用の定着だったりするのかもしけないけど、本来は「気遣い」的な配慮とは逆になる否定的な意味での「心置き」に「無い」という付けて打ち消して成り立つ言葉で、それが本来の意味みたいに扱われている気もした。たぶん、昔は「心置きの無いようにされてください」みたいな言い回しだったのが「心置き無く」という単語みたいな縮め方になったのかな。

「心置き」は距離がある表現なのは間違いないようなので、「心の置き方」は「距離のとりかた」とか「遠巻きに気がける」とか一歩引いておく遠慮というか警戒か配慮の事のような気もする。

さて、何年も会ってないもしくは初めて会う人が「あなたのご両親の具合はどうですか」「あの時の怪我は大丈夫でしたか」といった、受け手の想定範囲外からの訊く言葉に「そんなところまで知っているの?」という気遣いを感じての「心の置き方が上手」はアリかナシか。

うーん、難しい。

ということで、NHKのアナウンサーは「心配り」のつもりで「心置き」にしたのだろう。きっと、たぶん。

あ、だからといってソレを「間違っている」と言うつもりではいないので。今は「正義の名の下に棒で叩くのが大好き」な人が多い世の中だからね、念の為に追記しておこう。

正義の名の下に他人ぶん殴ってる時楽しそうでしょ?
私が高校生の時世界史教えてくれた先生の「棒で人を殴ることにはたまらん愉悦がある。そのことを認め、その欲求とどう付き合うかが世界史を学ぶ理由だ」ってコメントは本当に学費分の価値があったよ。差別と憎悪は自分が対象じゃなきゃ娯楽なの。

— たいしょう (@taisho__) April 26, 2020

ほんと、いわゆるドパガキ的な短絡的な思考で物申すのは本当に気をつけないと、うっかりするとやりかね無い自分への戒めに。