Aruyo

定点観測 野中の森 (1)

正源氏公園を散歩していたら、鬱蒼としていた奥の森がバッサリと伐り拓かれていた。oh...浮浪者が一人住み着いていたけど、あのおっさん居場所が無くなったな。

宅地でも造成するんだろうか、教育委員会のテントがあったけど発掘って感じではない。多分ここも隈山古墳群の外郭に当たるんだと思うから測量くらいするのかもね。

詳しくは知らないけど、元々はそばにある黄檗宗の禅寺 正源寺か有馬公から承けた土地だと思う。戦前に軍が接収して戦後は市が、その後にブリヂストンの石橋氏が買い取って役員や上級社員の社宅とゴルフ場があったとか。その後また市に寄贈されてギャンブル施設(競輪場)になったと聞いたような、うろおぼえ。

間違ってたらごめん、訂正する。

なので、競輪場と正源寺の間には正源寺の管理する墓と軍が使っていた野外音楽堂があって境界線が複雑そうだし、競輪場の裏にはRPGのダンジョン入口みたいな遥拝の塔がある。この塔は皇居に向けて遥拝や戦中は手旗信号の訓練にも使われたらしい。私の母は久留米が筑後川の氾濫で水没した時はここに登り海みたいになった筑後平野を眺めていたそうだ。

それにしても、でっかい切り株。根っこまで取り出したら、クルメウスのそばに転がってる増水で流れてきた「巨大クスノキ」よりも確実にでかそうなんだけど。それが2つもあるんで、なんだか森が無くなったのが勿体無い気がしてくる。

こんな石垣みたいなものもあった。社宅の基礎とはちょっと違うようだけど...ただ、このそばにブリジストン所有時代の門柱と言われてるものが残ってるので、関連あるんだろうなあ。ただの手入れされてない森だと思っていたからびっくりだわ。

しばらく眠っていたこの場所は、どんな宅地になるのかな?

追記

記事の表題を「野中の造成地」から変更しました。

追記

写真を5枚繋いでパノラマにしてみました。
[ 8290px × 2200px (6.7MB) ]

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